自由自治の大学であり続けるために

京都精華大学理事長石田 涼ISHIDA Ryo

原点としての「自由自治」

京都精華大学の理念であり、原点である「自由自治」という言葉。これは特定の創立者がいないわたしたちの大学において、建学の理念をうち立てた初代学長の岡本清一先生が、1968年の開学に際して掲げたものです。初年度の大学案内において岡本先生は、「教師も学生もすべて、まず人間として尊重され、自由と自治の精神の波打つ大学を、これから創造しようとしているのである」と宣言しています。

60年代後半、世界中で若者たちによる自由を求め既成の体制に異議を申し立てる運動が巻き起こりました。それはベトナム反戦のような政治的・社会的運動ばかりでなく、ウッドストック・フェスティバルのような文化的な活動のかたちとしても表れます。時を同じくして、日本では学生たちが「学問とは何か」「大学は何のためにあるのか」と根源的な問いを掲げ、多くの大学が「紛争」状態に陥っていきました。

そのような時代を背景として、岡本先生は既存の大学とは異なる、まったく新しい大学を作ろうとしました。「われわれの大学は新しい画布(キャンバス)のように、一切の因襲的な過去から断絶している」という大学案内の言葉に、その決意は表れています。

京都精華大学は「自由自治」の理念を学び、身に付け、社会に広めていくために設立された大学です。その理念に賛同して創立当初に集まった人びとがいました。高名な作家や学問の大家も、まだ大学を出たての若手アーティストや元学生運動家の教職員も、そして学生も、一人ひとりが平等な構成員として扱われ、対等に参加する「自由自治」の大学の運営がはじまったのです。

大学の存在価値

少し私自身の話をします。私は89年に京都精華大学の職員になりましたが、その10年ほど前、他大学の学生だった頃から、その存在に注目していました。精華の教員の講演を聴いて、自由や平和のために行動する気骨ある教員がいる大学だなと思っていました。まだ校舎も少なかったキャンパスの学園祭にJAGATARAのライブを観に訪れ、センスが優れた学生が数多くいる大学だなという印象も抱きました。「自由自治」という言葉にはまだ出会っていませんでしたが、その雰囲気は外部の者にも感じとれるほどでした。

ですから、前の職を辞めて間もなく、職員募集の新聞広告を見かけた時には、精華に呼ばれたような気がしてすぐに応募しました。

入職時の写真。学内の看板には、大学への抗議も含めた率直な言葉が並ぶ。

精華に就職して初めて臨んだ入学式では岡本先生の記念講演がありました。あの時の光景は今も鮮烈に覚えています。もうずいぶんご高齢で、最初は話す言葉もはっきり聞き取れなかったのですが、ある国際的事件に関連して「自由」について話し始めると、次第に言葉が熱を帯び、声も大きくなっていきました。そして、新入生にこう言ったんです。「私は自由のために闘う。私と一緒に闘う者は手を挙げろ」と。すごい気迫でした。新入生たちが講演の内容をどれほど理解していたかはわかりません。しかし、岡本先生の呼びかけに、みんなの手がさーっと一斉に挙がったんです。その時は鳥肌が立つような感動を覚えました。自由自治の大学の一員に自分もなったんだ、と。

また、京都精華大学の「自由自治」を語る上で忘れてはならないことがあります。京都精華大学は2000年にダライ・ラマ14世の講演会を開催しました。ご承知の通りダライ・ラマ14世の来日には政治的障壁があり、日本で初めての公開講演会ということもあり、開催に対する妨害と抗議は執拗をきわめました。正直なところ、招聘委員会の長をつとめた私にも動揺がありました。しかし、当時の杉本修一理事長は「大学の存在は国家より大きい。わが大学が国家の干渉に屈することがあってはならない」と説き、講演会を断行しました。その結果、2日間で4千人を超える聴衆が参加するたいへん感動的な講演会を催すことができました。

この大学の「自由自治」が試された大きな事件だったといえるでしょう。この時、精華の「自由自治」は単なるスローガンではなく、強固な基盤の上に成り立っていることを身をもって知りました。そして、「自由自治」は苦闘しながら自分たちの手で創りだしていくものであることを教わったのです。

「自由自治」とは何か

しかし、「自由自治」とは、そう簡単に実現できることではありません。自由とは何か、自治とはどうあるべきか。開学以来さまざまな問題が生まれ、大学運営への批判や異論もたくさん交わされました。創立者である岡本先生も、自らが設けたリコール制度によって、学長を辞任することになってしまいます。「自由」とは何かをいつも問い返し、そのたびにみんなが議論し、乗り越えてきた。そういう歴史が、この大学にはあるのです。

初代学長の岡本清一の著書。政治学者として自由と民主主義を考察した。

時代の推移のなかで、「自由」をめぐる議論にも倦んで、岡本先生の唱えた「自由自治」は古びてしまったとの声もあります。しかし、一見「自由」が充満しているかのように映る現在だからこそ、もう一度「自由」の意味を問い直すことが求められていると考えています。

単に何ものにも拘束されず、干渉されないことが「自由」であるかのように理解されている面があります。では、貧しい者を目の前にしながらも自分だけが富むことが自由でしょうか。憎む相手に暴力を振るうことは自由でしょうか。相手の意思を無視して性欲を満たすことは自由でしょうか。人を差別し、おとしめることは自由でしょうか。現在では、自分の利害を守り正当化するために、「自由」という言葉が安っぽく濫用されています。

欲望や気分に流されず、人の意見に振り回されないためには、自己の価値基準を確立しなければなりません。自分の価値基準にしたがって自律的に生きるところに「自由」があります。この世界で人は自分一人で生きているのではなく他者とともに生きるのですから、自分の利害や都合だけを主張するのではなく、他者との連帯や公共性が重要になってきます。これが「自治」ということ。「自由」と「自治」が対になっていることには、こうした意味があるのだと思います。

そう考えれば、人間同士の分断と対立が深まり、不安が拡大する現代社会において「自由自治」の課題が再び浮上していることがおわかりいただけるでしょう。

今こそ原点に立ち返ろう

世間では、富や権力の形成が幸福の指標とされ、大きな力に寄りかかり強い流れに身を任せることが賢明とされています。個性的であることより、皆に同調することが求められる場合も多いのではないでしょうか。さらに、わたしたちの大学が教育の内容とする文化や芸術を経済的な有用性が低いからといって否定するような風潮もあります。

しかし、政治や経済、科学技術ではかなえることができない人間の幸福の建設に、文化や芸術が貢献できることを確信しています。わたしたちは、一枚の絵が、一編の詩が、一曲の歌が、人生を変え、歴史を変える力をもっていることを経験として知っているからです。

人間は一人ひとり絶対的に異なる存在です。なので、人間を人間たらしめるためには、人権が擁護され、人間の固有性が尊重されなければなりません。だからこそ、人間を画一化するのではなく、オルタナティブ、つまり多様な可能性へと常に開いていくという京都精華大学のような空間がこの社会から失われてはなりません。

50年前に生まれた京都精華大学の歴史、創立の経緯と「自由自治」の理念、社会のなかで果たしてきた役割。私は「自由自治」の理想を芸術と文化の表現に関わる教育によって実現しようとする京都精華大学の使命に誇りと自信をもっています。この理念の下に学生を社会へ送り出してゆくことで、これからも求められる大学であり続け、永続していける。私はそんなふうに考えています。